「はくしゅ」147:道徳 オリンピック選手から学ぶ
「里谷選手」の語り
幼いときから、父と共にすべってきた里谷選手。8年前、まだ17才だった里谷選手は、リレハンメル五輪11位を獲得(かくとく)しました。
そして、次回日本開催のオリンピックに燃えます。
しかし、長野オリンピックの前の年。最高のコーチでもあるお父さんが亡くなります。ショックで、引退(いんたい)も考えたそうでする。それどころか、スキー自体をやめてしまおうとも考えたそうです。
彼女は言います、
「お父さんにほめてもらえるのがうれしくて、スキーをしてきました。」
しかし、父の死を乗りこえ、長野にやってきました。21才になっていました。再びオリンピックの大舞台に立ち、金メダルを獲得しました。里谷選手は言います。
「父と一緒に滑りました。」
「でも、私のために滑りました。」
「そして、みんなにありがとうといいたい!」
長野オリンピックの大騒ぎが終わりました。
「お父さんは今も大きな存在です。お父さんがいなかったら、メダルはとれなかった。お父 さんってすごい」
でも、その父はもういません。長野も終わった。もう普通の生活にもどってもいいかもしれないと、引退(いんたい)を考えました。
「自分が何をしたいのか、わからなくなっていたんです」
それでも、彼女は競技を続けます。でも、成績はよくありません。そして大きなケガ、左足首を骨折してしまいます。しかし、この大ケガが、里谷選手を再び成長させたのです。
「滑れないことがあんなにつらいとは思わなかった。それからはもう、滑りたくて滑りたくて仕 方なかった」。
ソルトレークで、あの最高の滑りがよみがえりました。里谷選手はレースの前にこう思ったそうです。
「お父さん、手伝わなくていいから、見ていてね。」
レース後の言葉です。
「すごい、最高にうれしい。前回のメダルは(亡くなった)お父さんが取らせてくれたけど、 今回は自分の力で取るぞ、と思ってとったからうれしい。〜4年間頑張って取ったものだか ら、すごいうれしい」
「長野のときは直前に亡くなった父の力で取れた金メダルでしたが、今回は自分の力で頑張 ろうと決めたオリンピックだったので、私にとって自分の力でメダルを取ったという気持ちが 大きいです。」
オリンピックを通した、一人の人間としての成長が分かりますね。